宝もののために〜うつ病の処方に不安が始まる〜
2013年
1月28日
広島は雪が積もり いつもは1時間以内には着ける実家へ 大渋滞で4時間かかった。
母は朝から吐き気がして 胃酸が上がってくるらしい。更に食べる量も減り、手の震えも出始める。動けない。
寒い日は鍋にしようと さっぱり食べれる鶏の胸肉で準備する。
1月30日
コチで鍋にした。
1月31日
腰痛が始まる。晩御飯はノドグロの煮付けを作った。それを見た母は
「のどぐろ 怖い」とつぶやく。黒い喉が怖いと言う。
2月1日
腰痛がひどくなる。
精神内科5回目の診察。
治るどころか次々に悪い所が増え症状が悪くなっていく。
医師に『薬の副作用が先行している様に見える。大丈夫なのでしょうか?』
と尋ねると 『そんな事言っては治療出来ない。』と返ってきた。
医師から出た言葉に 私は
不振に思い始める。その日の処方
薬 ジェイゾロフト 25mg
ロンラックス 1mg
アンデプレ 25mg
サインバルタ 20mg×2
この日より増えた薬
就寝時前 オメプラール 20mg
朝夕食後 ツムラ 六春子湯エキス
2月2日
母は魚が好きなので 晩御飯は鯛の塩焼きにする。半分残す。
2月3日
この日は日曜日。お天気もいいので 植物公園にサンドイッチと牛乳を買いお昼一緒に食べる。だが半分しか食べれない。夜ご飯 ササミに蒸し物を作るが小さな2切れ食べることで一所懸命だ。母は4キロ体重が減った。
続く。。。
宝もののために〜更に悪化するうつ病〜
2013年
1月21日
母の誕生日だ。私はチーズケーキ焼いて行き お昼ご飯を作って母と一緒に食べた後、2人でケーキとロウソクでhappy birthday to youと 歌を歌って母のお誕生日会をした。母は、ロウソクを消す。こんなの初めてだと母は喜ぶが 私は心の中で今までだってやってるよ〜と思う。母の食べる姿は、一所懸命ものを口に運び頑張ってとりあえず食べているとしか見えない。 美味しいとは程遠い。
そして私の大切な宝もの 長男の中学受験が翌日から始まった。
ご飯を作る事の出来なくなっている母のために1月17日から 昼も夜も食事を作る生活が続いている。昼は一緒に食べて 父と母の夜ご飯を準備して食べれる状態にして帰る。
勿論、私の大切な宝ものの家族は手抜きは出来ない。
いつも通り 朝は義父、主人、長女、次女、主人の弟子のお弁当を作り洗濯 掃除を済ませ実家に向かい昼 夜ご飯を作り 帰って 家族のご飯を作る。こんな時だからこそ 手抜きが絶対したくない私は いつもと変わらない それより、いつも以上に頑張る事を
心がけて家事を頑張った。
1月22日
中学受験解禁日。受験会場に息子を送って 実家に行きご飯を作るが、23日より、朝家族のお弁当作りをする時に母のお弁当も作り実家に昼までに届けて夜ご飯を作り、受験会場に息子を迎えに行くパターンにした。
1月25日
精神内科の診察4回目 悪化した症状を話し薬をもらう。
薬 ジェイゾロフト 25mg
ロンラックス 1mg
アンデプレ 25mg
サインバルタ 20mg × 2
この夜、母は夜中 漏らしてしまった様で明け方ビックリして 大洗濯をしたという。
薬の副作用だという事をはなす。
1月27日
お天気がいいので 気晴らしに少しドライブし昼 ちからのうどんを食べに行ってみた。 車の中で母は 消えたい とつぶやいた。
続く。。。
宝もののために 〜どんどん悪化するうつ病〜
2013年
年が明けた。
元旦 電話で母の様子をうかがう。
里帰りしている妹家族は、今日から3日まで主人の実家の方でお正月を過ごす。
妹家族の里帰りは賑やかではあるが、妹夫婦と長女中学1年、次女6才 4人が来るのだから疲れも出る。なので少し休憩になるかなとも思う。
年末におでんの作り方がわからないとおかしなことを言い出したのも、妹家族の里帰りに何かご飯を準備しておかないと。。。と必死に考えて作ろうと思っての事であった。
1月2日
気晴らしにホットサンドを食べにアンデルセンに行ってみる。いつもの元気は無い。
1月3日
妹家族が実家に戻って来て 4日に帰って行った。
1月5日
やはり気になり様子を見に行く。おかしい。
1月6日
つっぱり棒やスリッパ、お店のマットなどをホームセンターへ買い物に行ってみた。
1月7日
月曜日 どうしても気になる私は、母の店に行き「病気へ行こう」と精神内科に連れて行く。帰りには、母の大好きなお刺身なら少しは美味しく食べれるのではないかと、イカや太刀魚の刺身を買って帰る。
早期に病気に行き、薬を飲めば治るものだと信じていた。
薬 昼 ジェイゾロフト 25mg
就寝時 ロンラック1mg アンデプレ25mg
この時の母の症状は、不眠 ドキドキ イライラ 倦怠感 意欲低下 食欲低下
味覚の低下 思考低下 喉の渇き。
病気に行けば、治ると思ったが症状は坂から転げ落ちる様に悪化した。
1月15日
2回目の精神内科の診察日。症状の悪化を話すと更に薬が増える。
薬 朝 夕食後 ヒソプール1mg
昼 ジェイゾロフト50mg
就寝時 ロンラックス1mg アンデプレ50mg
1月17日
母は更に様子がおかしい。精神内科に電話して様子を知らせると朝 夕食後の薬を中止して下さいと指示をもらう。
この日から、私が毎日通い 夕食の準備をする日々が始まった。
1月18日
3回目に精神内科 薬の変更
薬 ヒソプール 中止 → サインバルタ20mg
ジェイゾロフト50mg → 25mg
ロンラックス1mg
アンデプレ50mg → 25mg
治るどころか、更に更に坂からゴロゴロと音をたてて転げ落ちる様に症状は悪化
思考の低下 食後の低下 味覚か消える 意欲が消える 身体のだるさ 頭が重い 目が開けてられない 胃の不調 気持ちが悪い(つわりの様な感じ)
母の症状は悪化していった。
続く。。。
< 今日のお勧め店 >
今週の土曜日に、久しぶりにお友達に会います。
ピザを食べる機会が無いので ピザを食べに行きたい。ということであれば、是非連れて行ってあげたいピザ屋さんがココ!!
美味しいです。今日予約して土曜日にランチします。
ホント。オススメなので行って見て下さい。
宝もののために〜うつ病の始まり〜
2012年
12月
どうも母の様子がおかしい。おでんの作り方がわからないという電話がかかる。母は、料理も決して下手ではない。何でもささっと作る母だった。洋裁も得意で洋裁学校に行った母は、私の小学校の制服も縫ってくれた。ガールスカウトの制服も縫ってくれた。30年化粧品店とブティックもしてきた。
しかし、あきらかに電話口から聞こえてくる母の声は眉間にシワをよせてどんよりとしんどそうなマイナス思考の母の声だ。
12月24日
夜 勇気が出て髪を染めました。とメールがくる。
12月25日
何か本があれば持って来て欲しい。おでんが作れました。とメールがくる。
12月26日
栗ご飯を作り ケーキを焼いて持って行き 母の様子を見に行く。
12月27日
妹が尾道から子供2人と里帰り。少しは気が晴れ元気が出ることを期待する。
12月29日
妹達と買い物に行き、帰りにはクリスマスのイルミネーションを見に行く。
12月31日
おせちを作り夕方届ける。
妹たちが里帰りで少し気は紛れてはいるようだが、いつもの母とはやはり少し違う。気になりながら2012年が終わっていった。
続く。。。